地獄の門 1880-90年頃/1917年(原型)、1930-33年(鋳造) ブロンズ , オーギュスト・ロダン , 国立西洋美術館, 東京
The Gates of Hell 1880-90 (model), 1930-33 (cast) (bronze) , Auguste Rodin , The National Museum of Western Art, Tokyo

ロダン展

 左の展覧会の図録とチケットは、私がまだ高校生だった頃、通っていた学校の近くの美術館で初めて大規模な展覧会としてロダン展が開かれた時のもの。カレーの市民の習作や素描などかなり珍しいものが来ていたと記憶している。通学路の途中にその美術館があったので、放課後になると何度もロダンを観に通ったものだ。当時はバブル前とはいえ地方であったこともあり、あまり芸術に興味を持つ人は少なかったのかもしれない。放課後の展示室はほとんど鑑賞者もおらず、部屋に作品と私ひとりという貴重な体験もした。

 なめらかなブロンズの美しさもさることながら、強く印象に残ったのは彼の素描であった。大胆なポーズで描かれた女性の素描は日本の浮世絵の春画の影響があると言う。開催期間中、校外学習としてロダン展を鑑賞する授業があり、同級生のO君がこのエロティックな素描を見るなり、

 「ただのエロいおっさんじゃろこれ」

と私に向かって割と大きめの声で感想を言った。私は「え?」と言うだけでどう答えればよいかその場はわからなかったが、まぁ普通の男子高校生の率直な感想であろう。おかげで私はその後ロダンの作品を見るたびにO君のこの言葉が脳内再生されることになってしまった。

 最近、この図録に掲載されていた池上忠治氏の解説を読んだところ、以下の文章があった。モデルの花子が語ったロダンが春画を見せたがるので困ったエピソードや、カミーユ・クローデルの愛憎など解説の後

要するにロダンは好色の人であり、実生活においても芸術表現についてもほとんど全くこだわりがない。こうした事実と晩年の無数のデッサンにおける女性の“あられもない”姿態の表現とを考えあわせるならば、度重なる浮気は別としても浮世絵との親しい接触が彼のデッサンのスタイルをより自由な、より天衣無縫なものにするのに役立ったのではないか。

とある。なんと、芸術とは全く無縁そうに見えた野球部のO君のあの率直な感想は実は核心を突いていたのか、と今頃になって感心したのである。

「どうも私は複製芸術やらオリジナルやら技術的な視点ばかりでロダンを観ていた気がする。欧州に戦争が戻ってしまった今、ようやく本来の意味でこのカレーの市民と対峙できそうである。」
カレーの市民 1884-88年 ブロンズ , オーギュスト・ロダン , 国立西洋美術館, 東京
The Burghers of Calais 1884-88 (model), 1953 (cast) (bronze) , Auguste Rodin , The National Museum of Western Art, Tokyo

出典・参考文献