デリバリー専門


Neoca 2S + NEOKOR Anastigmat C 1:3.5 f=45mm / Lomogrpahy Color Negative 800

デリバリー専門

 近所のマンションの一階にデリバリー専門のファストフード店ができていた。そこで飲食するスペースは無く商品を提供するカウンターのみの方式である。そのマンションの一階は表通りに面しているものの、立地が悪いのか、人の流れがよくないのか、様々な店が入っては出ていくことを繰り返していたので、その場所は店舗スペースには向いていないのは素人目でもわかっていた。デリバリー専門となるとお客を呼び込む必要が無いので、はたして今後定着するかどうか。

 コロナが蔓延して以降、飲食店に限らず様々な分野で業態の変化が激しいが、いささか大仰だが、芸術の分野も今後こうなっていくのかなと、店の前で待機している配達員の横を通り過ぎながら思ったのである。

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美術と写真(1)


Neoca 2S + NEOKOR Anastigmat C 1:3.5 F=45mm / KODAK ProImage100

モダニズム

 例年であれば年末年始は実家に帰省するのだが、昨年から始まった疫病はご存知の通りの状況でほとんど自分の部屋にこもって過ごしてしまった。その間、いささか大仰ではあるが人類の進歩や近代化、つまり「モダニズム」について延々と思考を巡らしていた。ワクチンを始めとする先端医療や感染予測などの技術向上・環境整備も望まれ、それは大事なことではあるのだが、その前になによりも、自分自身の「欲」と他人の「欲」にどう向き合うか、いかにコントロールするかという、人間の根本的な問題が横たわっているように見える。その意味でかつての宗教は便利な道具であったが、特に日本では1990年代半ばのオウム事件や宗教の対立に起因するテロ・暴力を目の当たりするようになって以降、どこか胡散臭いものとして見られるようになってしまった。何も敬虔な信者でなくとも、例えば「禅」を基盤にした、あるいは部分的にでも生活に取り入れている方は、コロナ以前とあまり変わらない日常を送っているのではないかと想像してみたりもする。産業革命以降近代の枠組みに沿って歩んできたが、私が生まれた1968年前後を境に、近代以後のあり方を模索しポストモダンという少々消化不良と思われた期間を経て、9.11、リーマンショック、3.11と原発問題、とその時々で制度のあり方が問われてきた。それでもなお疲弊した「近代の枠組み」を維持してきたが、このコロナ渦の状況で、近代の象徴たるイベントを断固として開催するのだと為政者が叫び、多くの人が生活に困る中、株価や唯一性が保証されたネット空間のデータの価値だけが舞い上がっていく様は、その疲弊もいよいよ極まって断末魔の叫びのようにも聞こえる。視線をもっと広く見渡せば、現代では中国が近代を乗り越えようと必死になっているが、どうも他国からの賛同は得られなさそうに見える。一方、一足早く超大国となり乗り越えたかに見えた米国は民主主義の根幹である場所でやらかしている。もしかして私たちは「近代の超克セット」という高額商材を買わされてしまったのではないか。そんなに難しいなら乗り越えなくても良いではないかと言うと、成長を否定するのかと方々から怒られそうだ。私が生まれて以降、先に「後」のことをしばらく議論してきたが、半世紀を経てようやく本当の「後」がやってきたと思ったら「前」に戻っていたのだろうか、などと妄想しているうちに正月休みもとっくに過ぎてしまったのである。

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ZUNOW 5cm F1.9


Mranda A + ZUNOW 1:1.9 f=5cm / KODAK Ektar 100

写真家は変わっていくのか

 「焦り、不安、恐怖、狂気」などネガティブなイメージを表現したい時、どのようなレンズを使えばよいのだろうか。もし私がカメラ・レンズメーカーの開発社員として、不安や恐怖を催す描写をするレンズを作りたいと提案しても、即座に却下されてしまうことは部外者の私でもわかる。仮に小さな新興レンズメーカーが開発し、発売たところで、そのレンズはキワモノや異端扱いされるであろう。そこは写真家や表現者の創意工夫でなんとかしてくださいというのが暗黙の決まりではあるし、メーカーも一定の線引きを設けているのは感じられる。綺麗でなだらかなボケの明るいレンズが各社から発売され、最高画質をうたうカメラが生み出されている昨今、世の中が常にきれいなもので満ち溢れて、美しい写真を残し、多くの人が幸せになるのならば結構なことではある。しかしながら人間の感情というのは複雑なもので、不安や狂気を表すことによって鑑賞者により深い思考をさせる表現をしなければならない時も必要であろう。もちろんカメラやレンズの機能に頼ることなどナンセンスだ、内容一本で勝負すべきという意見も多くあるだろう。ただ、多くの写真家が自らのスタイルを確立し、成功しているわけではない。また、確立したとされる写真家も時代の「芯」を捉えているかどうか。今後デジタル技術が高まり、レンズではなくカメラ、あるいはスマートフォンのボディ内で、(決してお遊び的な効果ではなく)人間のあらゆる感情、感覚を撮影結果に盛り込む機能、つまりクリエイティブの分野まで技術は進出するのであれば、特別な教育機関で芸術性の能力の訓練を受けなくても、多くの人の琴線に触れる作品を残すことができるカメラが生まれるのだろう。当然陳腐化も早くなる。しかし陳腐化への対応は同時に技術革新の速さにつながる。いささか飛躍した考えではあるが、程度の差はあるとは言え、今後カメラがこのような発展の仕方をするのであれば、現在の「写真家」は、かつて写真機が登場した頃の「画家」と同じ立場に立たされるのかもしれない。

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