「Minimal Art 1992」彦坂尚嘉, MISA SHIN GALLERY

彦坂尚嘉「PWP: Practice by Wood Painting」

 彦坂尚嘉氏の未公開作品の個展「PWP: Practice by Wood Painting」[1] が開催されていたので観に出かけた。以下は私の勝手な解釈なのでご参考程度に読んでいただきたい。

「絵画」とは

 絵画とはどのようなものであるか、と問われて多くの人が思い浮かぶのは、例えば額縁に収まった人物や風景などの油絵が一般的ではないだろうか。より見方を広げると教会の壁や天井に描かれたフレスコ画や、日本の寺院や城の襖や屏風絵なども絵画に含まれるだろう。さらに現代に寄せて、何らかの図像を表すものとすれば、写真も、さらに液晶画面上で発光しているRGBの集まりも結局のところ絵画の歴史に乗っているのである。

 絵画は(それに限らないけれども)歴史的に見ると、巨大な資本を持ち、政治的にも力をもった権力者の奢侈(しゃし:度を超えた贅沢、身分不相応な浪費)のためにあった側面がある。かつては有力者の墳基や宗教施設であったり、近代以降は貴族や国家のために芸術家は働いた。やがて現代になり個人の時代が進むと絵画に変化が訪れる。戦争である。特に初めて近代兵器で戦う第一次世界大戦は醜い様相を呈し、ふと我に返った画家は、なぜ権力者のために命を落とさねばならないのかと怒りに震えるのだ。第一次世界大戦中にデュシャンは便器を展示したが、続くダダイズムもシュルレアリスムも根底にはそうした力に対する反骨の叫びの面がある。しかし力からの自律を芸術作品で訴える時、展示する「場」というものが非常に重要となってくる。つまり壁にかけられた絵画を観た時、その絵を支えている壁は何なのかということ、壁を必要とし、観客が鑑賞できるような環境を整えた者は誰なのか。およそ半世紀前、ベトナム戦争が激化する中、多くの芸術を志す若者が、既存の美術様式に疑問を持ち、共通の課題に挑んだ。そして、その若者の中の一人だったのが彦坂尚嘉氏だ。[2]

 今までの与えられていた様式を疑い、自分の力で明らかにしていくこと。巨大な力の中心を喪失した時、当たり前と思っていることを当たり前として見ない視点が必要になってくる。当時の若者たちは芸術作品が構成するあらゆる要素を分解し還元していった。言葉、文字、既存物、創作する行為、アクション、そして壁からキャンバスを外し、さらにキャンバスから絵の具を引き剥がし、美術館等の閉じた空間から外部へはみ出していった。当時のこうした行為は権力に対する若者の過激な反抗として一括りに片付けられる傾向があり、世の中が比較的平穏になってしまった後は馬鹿にされ疎まれるものであるが、当然危険な行為は推奨できないが、半世紀を経て再び不安定になり、為政者があの手この手で己の正当性を主張するイメージを流すことが多くなってきた今、自明と思われていたことを疑うことは必要になっているのかもしれない。

 

 前置きが長くなってしまった。このような小難しいことを考えつつ、小洒落た欧米の人が闊歩する広尾駅からMISA SHIN GALLERYへ向かった。彦坂尚嘉氏と言えばもの派批判の第一人者で知られる。もの派の先生[3] の元で学んだ私は、言わば敵対勢力のボスの作品を見にいくことになるのだろうか。しかも困ったことに私は彦坂氏の各方面で発信している内容がほとんど理解できる上に、批判的な作家たちも概ね同じなのだ。これは芸術の師にたいして恩知らずなことになるのだろうか。と、そんなことは全くなくて、私の先生はいち早くもの派から離れて、またいち早くこの世から去っていった。ゆえにもの派の中心メンバーでありながらあまり名前が上がってくることはない。このあたりのことを知るには千葉成夫「現代美術逸脱史」、美術手帖1992年7月号P.223の小清水漸による追悼文(この号には彦坂氏と岡崎乾二郎氏の「鏡」の論争が掲載されている)、美術手帖1995年5月号P.254「証言=もの派が語るもの派」等をあたってみると良いだろう。

「PWP: Practice by Wood Painting」

Hikosaka Naoyoshi, Untitled(Sea) 1994

 またまた脱線してしまった。とにかくミサシンギャラリーだ。会場のドアを開けてまず目に入ったのは、海のイメージが貼られた作品だ。段差のある厚い箱型の立体が組み合わされ、正面にはおそらく手書きであろうか黒い色面が塗られている。これは少なくとも従来の意味の絵画ではない。何と呼べばいいのだろう。平面でもない。壁にかけられている様は立体とも言えない。レリーフ?半立体? 私は美術館で古典作品を写真に収めることがよくあるが、例えば絵巻物などは展示ケースの中に斜めに置かれていることが多い。そのとき少しでも正面からずれた位置で撮影すると歪んだ文字や画像になってしまうので骨が折れるのだが、この半立体の作品も真正面から撮影しても多少なりとも側面が映り込むし、レンズの歪みもあるので正確な像にならない。しかも側面にもイメージがある為、ただ正面を写しただけではこの作品を説明したことにはならないのだ。ゆえにこの作品の理解には現物を見るしかないのだが、古典的な意味の絵画でないとしたら、見えない部分の上面や裏面がどのようになっているのか無性に知りたくなる。地平線のない海の写真に対し手前と奥の距離感のある支持体。まじまじと眺めていたら写真はゆらゆらと波打つ映像に見えてきた。たとえば8時間同じ海の風景を見るとして、現実の海を見るならばずっと見続けることはできるかもしれない。しかし美術館に飾られている絵画や写真だとどうか。映像として8時間の間、映画館で見るのはお尻が痛くなりそうで苦痛極まりないだろう。海という同じものを指し示しているのに、私たちはメディアの種類によって鑑賞態度を変えていないだろうか。作者は海が立っている壁のように見えたと言う。日本は有史以来この立っている壁に守られてきた。壁=力を失った時、これまで築き上げた文化を守ることができるのであろうか。全体の形を眺めていたら今度は漢字の「門」見えてきた。そもそも漢字は実際の物の形から絵文字として発展したものだ。日本はこの門を海の外の状況によって開けたり閉めたりしていたが、今は門はどの方向に動いているのだろうか。文字、支持体の物、イメージ、遠近法、それらを集約した行為、かつての課題を全て内包したこの作品が、他の作品と比して最も存在が強く感じられた。[4]

Hikosaka Naoyoshi, Minimal Art 1992

 続いて目に止まったのは縦に三つの色面が並んだ作品だ。これは他作品と比べてツヤのないこすれたような肌合いで古めかしささえ感じる。正面を見ると三色のそれぞれ着色された木が均等に三つ並んでおり、審美的比率で鉛筆の線が横に引かれている。私が画学生の頃風景や人体のデッサンを習った時、自然物には完全な直線はないと先生から教わったが、木目の自然な曲線と、人の手によって引かれた鉛筆の直線の日本的なリズムの調和、擦れて支持体が見えることによって結果的に半透明の状態になっている絵の具の質感が心地よい。古い日本の芸術作品には支持体と絵具が共存しているものが多いが、そういえばセザンヌもキャンバス地と絵具が共存していたことを思い出す。ふと側面を見ると「Minimal Art Hikosaka 1992」と書かれていた。ミニマル・アート? よくある解説では主に1960年代のアメリカで見られた、無駄のない最小限の形や色の反復表現をした美術動向であり、作品と観者、作品として観せている空間との作為的関係、非自律性を批判されたと思うが、目の前にある作品は確かに色は三色のみでシンプルな構成だが各所に手作業の痕跡が見て取れ、作品自体に自律性がある。しかも自らミニマルアートと署名されている。これは美術史の定義からは少々外れており、常に歴史的文脈を重視する彦坂氏はこれをなぜミニマルアートと名付けたのだろうか。

 

やまと絵展

「(重文)神馬図額」狩野元信 兵庫 賀茂神社(画像はWikimedia Commonsより引用)

 ここで少し回り道をして、私が翌日東京国立博物館で開催されていた特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」を観にいった時の話をしてみたい。神護寺三像など多くの名品が揃い、また祝日とも重なって鑑賞客でごった返した館内をヘトヘトになりながら見て回ったのだが、ある作品の前で私の足が止まった。狩野元信の「神馬図額」だ。斜め奥から引かれて来る白馬の筋肉の張りや品のある線の表現は見事なもので、ひと目で元信の筆だと分かる作品である。かつて日本では神々が騎乗する馬・神馬(しんめ・じんめ)として神事には馬を献上していた。やがて境内の壁や木板に神馬を描くようになり、当時の有力者は腕利きの絵師に依頼し自らの願いとともに馬の絵を奉納した。これが長い時間をかけて世俗に広まって絵馬として現在に至っているわけだが、今の多くの神社に掲げられている絵馬には馬の姿はどれだけあるだろう。おもに様々なイラストや干支などのイメージとともに参拝者自らの願望が献上されており、肝心の馬はどこかに走り去っているようだ。

 これは本来の形式を外れていていただけないと私は主張するつもりはなく、むしろ高尚から通俗へ変化するなかでこうした逸脱を許容してしまう土壌が、日本の芳醇なサブカルチャーを産んでいるとさえ思っている。しかしそれはしっかりとした核となる中心が存在してこそ生き続けることができるものであり、仮に中心を失えば、時として脆くも崩れ去るか、本来の形に戻ろうとする力が働く。タブローの歴史と変化は主に西洋の絵画で語られることが多いが、本来の絵画とは異なるものの絵馬を日本の絵画の歴史の一つと見るならば、奈良時代の伊場遺跡の絵馬から続く変化を調べると面白いかもしれない。目の前にある狩野元信の大絵馬は室町時代、享禄(西暦1528〜32年)の頃の作と推定されている。この作品についての文献を紐解くと、

 小絵馬から懸絵かけえとしての性格をもった、大絵馬への展開過程において、さらに注目されるのは兵庫県室津の加茂神社に奉懸された、狩野元信の神馬図額であろう。神馬図を描いた大絵馬形式のものとしては最も時代の遡る遺品であり、表・裏面に記された天文八年・弘治四年・永禄三年などの落書きと、画面それぞれの下方に書かれた「狩野大炊助元信」の落款らっかんのうち、「大炊助」の称が大体永正八、九年ころから使用されるのを勘案して、描かれたのは永正八、九年から天文八年の間、しかも落書きのことを考えれば享禄年間ころの作と推定されるものである。
 神殿脇に張り出した板塀に神馬図を描き、それを板絵馬と称したこと、その慣例が古く平安時代末葉にまで及び、式年造替ごとに神殿や鳥居の彩色に携わった絵師たちがその絵馬に才腕をふるった……<中略>元信の神馬図学はおそらくそのような壁画的な絵馬に胚胎するものではないだろうか。
<中略>
 元信の神馬図額二面は、いずれも白馬であり、「慕帰絵詞」の絵馬のように祈雨・止雨を願う呪術的信仰から生まれた白・黒馬、奉納の習俗とは性格を異にすると推察される。明らかに神殿板絵馬の先例を踏襲した図様を示しており、その意味では、神馬図壁画が、奉額へと変容する過渡期の様相を如実に示す遺品ということができるだろう。神馬図の奉額は、やがて他の神前懸絵をも包括し、絵馬本来の意味をも見失うような複雑な画題の絵馬を生み出す結果にもなるのである。もちろん、壁画から奉額に変容する過程において、それが奉懸を意図していることでは、小絵馬の習俗が影響していることも無視するわけにはゆかない。

            −−日本の美術(92)至文堂 編 中世の絵馬 P.46-47−−[5]

 小絵馬とは現在でも神社の境内でよくみかける、願い事を書いて奉納する上部が屋根型の小さな絵馬のことだ。絵馬が本来の意味を失っていくにつれて、有力奉納者による大絵馬の画題も多様化(武者絵、能・狂言、念仏踊りなど)がすでに室町時代末期ころからみられたという。

 しばらく元信の神馬図を眺め、この頃以降、大衆の慣習が本来の形式に影響を受けてしまうのかなと考えたとき、昨日観た、あの三色のミニマル作品がはたと脳裏に浮かんだ。そして作品の制作意図に気付いてしまったのだ。

日本の「ミニマルアート」

 翌日再びミサシンギャラリーを訪れて作品の前に立った。たしかにこれはミニマル・アートだ。言葉を変えれば、相当に皮肉のこもった、いささか変容した日本のミニマル・アートだ。どうも私は「Wood Painting」の表面ばかりに気を取られて「署名した行為の意味」を見落としていたようだ。皮肉と署名というと1917年の、あの悪評名高い作品を思い出すが、1970年代から絵画の次を最前線で探求してきた作者の、1990年代の日本では依然として過去の様式の背中を追っていて、しかも少々本来の意味を外している日本の美術動向に対する苛立ちや諦めの主張を、この作品から見て認識した。

 お叱りを受けるかもしれないが、どことなく配色が似ている約500年前のウッドペインティングと現代のウッドペインティングを並べてみたくなった。

 展覧会は1970年から90年代の作品(一部写真作品)であったが、改めて1970年代前半から後半にかけての日本美術の変化の重要性を感じた。私が学生であった1980年代後半はまだ新表現主義(ニューペインティング)の影響があり、その動向にはどうしても冷めた見方しかできなかったが、35年を経てようやくその理由が理解できた。個人的な好みを申しあげれば昨年高円寺で見せたジョン・ダワーと小倉貞男の書籍が切断された立体作品のヒリヒリとした主張を、あの綺麗な場所にあるギャラリーで見たかった気持ちもある。そして、手作業信仰の強いこの日本で、AIを使用した作品展開も楽しみだ[6] 。彦坂尚嘉氏はYouTubeなどの動画サイトや各方面で多数発信されている。時として厳しい批判が飛んでくるので、争いを好まない若い世代の方は反感を抱くかもしれない。しかし、何度も目を通しておくことをお勧めする。なぜならこの先、世の中がどのように変化するかは断言できないが、海外から伝わってくる悲惨な出来事を見るに、我々は早晩中心を喪失するように思うからだ。いや、半世紀前すでに中心を失っているにもかかわらず、それがあると錯覚していたと言うのが近いだろうか。日本では脱中心化を志向しながら中心に承認されたいという幼児的な時代が30年ほど続いたが、名実ともに頼るもののいない厳しい荒野に放り出されるように思うのだ。そのとき、半世紀前の若者に突きつけられた課題は、現在の若い世代に否応なく同じ課題が降りかかるのだ。

 


 ●彦坂尚嘉「PWP: Practice by Wood Painting」2023年10月14日(土)~11月25日(土) 12月9日(土) MISA SHIN GALLERY

 ●特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」2023年10月11日(水)~12月3日(日) 東京国立博物館 ※狩野元信の神馬図は11月5日(日)まで

 


 

注記・参考文献

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です