KOMURA- 80mmF3.5
80mmというあまり見ることのない焦点距離にコンパクトな佇まい。バルナック型のライカを持ち歩いていて85mm前後のレンズを使いたいと思っても概ね大きく嵩張るので、この小さなレンズは便利かもしれないと、あまり深く考えず購入した。4、5年前にはネットでも実店舗でもちらほら見かけていたが、現在はどうだろう。あまり見かけないかもしれない。
コムラー
コムラーレンズに関しては粟野幹男氏が書いたクラシックカメラ専科No.50「コムラーレンズと三協光機」に詳しく書かれている。前身の三協光機は1951年設立(1953年とも)。1969年社名をコムラーレンズと改称し、1980年に倒産した。当初チバノン名のレンズを発売していたとあるが、三協光機とチバノン光機は別会社で三協が下請で製造していたのではないかと粟野氏は推測している。ちなみに、チバノン光機は引き伸ばし専用レンズ等を製造していたそうだが、名コレクターであった粟野氏でも実際のチバノンレンズの現物は見かけたことはないと同記事には書かれている。どんな人物が経営し、レンズ設計者はどんな人物であったか、情報が極めて乏しい。しかし残されたレンズは非常に豊富で、一眼レフ用のコムラーレンズは中古店でもよく見かけるものだ。「得体の知れなさ」では一眼レフ時代になる前に消滅した田中光学の存在も欠かせないが、こうしたよくわからない部分に魅力を感じ、のめり込みすぎると手痛いやけどを負うことがあるので注意が必要である。もっともコムラーに関しては比較的多くの写真家にも愛用されリーズナブルなレンズであったのでひどいケガを負うことはあまりないかもしれない。とはいえ、ライカスクリューマウント時代のコムラーレンズは結構高い値段のものもある。当時の雑誌の評価を見ると「安いけど結構よく写る」という2番手3番手メーカー向けのお決まりの評価だが、半世紀以上経た現在はその個性的なフォルムや実用性で決して侮れないレンズ群になっている。
初広告の謎
先に挙げた粟野幹男氏の記事の中で、アサヒカメラ1955年5月号に掲載されたコムラーの交換レンズの初めての広告が奇妙であると粟野氏は指摘している。それはkomura135mmF3.5の写真がArco COLINAR 135mmF3.8とそっくり(というかおそらくそのもの)で正面の文字盤だけ修正してあるところ。それから105mmと80mmも文字盤のみの修正で同じ画像が使われているところ。そして、Komura50mmF2.8の画像は文字表記がCHIBANONレンズになっていて、外観のデザインは田中光学のTANAR50mmF2.8にそっくり(おそらくこれもそのもの)なところだ。おそらくコムラーでは当時まだ開発中で、画像が間に合わなかったと思われるが、三協光機がアルコ社や田中光学のレンズ製造を請け負っていたのが事実であれば興味深い。アルコも田中光学も1950年代前半からカメラ・レンズをすでに製造販売しており、様々な下請け企業にレンズを製造委託していた可能性はあるだろう。タナック5cmのF2.8やF3.5はデザインの違うレンズがいくつか存在しており、請け負った会社によって違うのかもしれない。それぞれ製造会社がどういう繋がりでどんな力関係にあったか、今となってはわからないが、少なくともオリジナルのコムラーレンズを立ち上げて、チバノン経由での下請けの状態を脱却しようとしたのは事実だろう。もっとも、上に掲載の広告では文字盤の修正が怪しいので広告限定で他社レンズから姿だけを単に拝借した可能性も無きにしも非ずなのだが。
肝心のKOMURA- 80mmF3.5だが、さすがにボケを見せるレンズではないものの、すっきりとシャープに写り、コンパクトでバルナック型のボディで撮っていて少し望遠寄りの画角が欲しいときには重宝している。上からの光にはめっぽう弱いのでフードは必須。エルマー3.5cm用のフードがピッタリ合うので流用可能だ。
上からの光には弱い。フードは必須だ。
出典・参考文献