読書漬け
普段は職場と自宅の往復、休日は部屋に引きこもり、専ら読書の生活がしばらく続いており、なかなか屋外で気楽にカメラ撮影ができない日々が続いている。歴史を振り返れば、世界的に困難な状況に陥り、長期間多くの者が生命の危機に晒された場合、その間に起きた出来事が深く心に刻み込まれ、それ以降の政治や経済、価値観はすっかり変わってしまい、以前の世界に表面上戻ることはあっても、求められるものは現在より違ったものになるであろう。
戦争や疫病で社会が混乱した状況の中で、知の先人達はいかに乗り越えてきたのか、今一度積んであった書物を拾い上げて読みあさっている。平常時に「差別は良くない」「皆で協力して困難を克服しましょう」と声高らかに言っていても、いざ危機的状況になると自分の「生命」や「利」を優先し、いとも簡単に野蛮と化す。この直近の20年間、宗教の違いによるテロ、金融システム、自然災害による技術の信頼の喪失、これらの危機が起こるたびに何処かに批判の矛先を向けてきたが、今回の世界的な疫病の前には、国の政治や金融に文句を言ったところで根本的な解決にはならない。結局のところ国や宗教やイデオロギーを超えて、現在の困難を解決してくれる医療科学の進歩を欲しているわけだ(そうでない勢力もあるかもしれないが)。
フランクフルト学派からハンナ・アーレントまで、かつては独裁者とファシズムが多くの命を奪ったが、今回の疫病の猛威により混乱を極めている今、修羅場を生き抜いた思想家達の言葉が胸に突き刺さってくるのである。
「人間の条件」での「労働」がうまくいかなくなったとき、今後、彼女の言う「仕事」と「活動」でどう世の中を回していくかが重要になってくるのかもしれない。今回の混乱でコンサートや展覧会の中止で芸術系の分野が窮地に陥っていると聞く。あまりに長引くようだと主戦場をオンライン(インターネット)に移さざるをえないであろう。動画やデジタル画像などネットとの親和性が高い分野と比べ、絵画や彫刻・立体などは不利に見られるかもしれなが、私はそうは思わない。どう見せるかによるが、ネット上で参照され(複製され)ればされるほど、オリジナルの唯一無二のアウラは強くなると見ている。
古典経済学における驚くべき矛盾の一つは、古典経済学の理論家たちが、一方では、一貫して功利主義的外見を誇りながら、他方、純粋な有用性についてはまったく曖昧な立場をとっていることが多いということである。
ーー「人間の条件」ハンナ・アレント ちくま学芸文庫 P.271
アーレントは古典経済学の労働価値説を批判するが、良い部分を強調し、都合の悪いところは曖昧にするのは、どんな経済理論も同じように思える。他国を巻き込んで効率的に経済を回し、確かにその恩恵を私たちは享受してきた。しかし、自分が住んでいる国の根幹まで他国に頼り、社会基盤が脆弱になった国から今回の疫病で最も悲惨な状況になっているのを見ると考え込まざるを得ない。思いおこせばリーマンショック時に窮地に陥った金融企業に税金が投入されて顰蹙を買っていたが、今回、経済的に困窮した人々を救済するために使うお金はいったいどこから出るのだろうか。
私が学生であった頃、大学では、写真の高梨 豊、多木浩二、現代美術ではもの派の成田克彦、近代デザイン史の柏木博、マルクス研究の的場昭弘、「美的判断力考」の持田季未子、などの方々が教鞭を執っておられた。現在からみると大変贅沢な教育環境であったが、80年代後半から90年代初頭の思想としては、まだポストモダンが色濃い時代だったように思う。1989年の中国の天安門の動乱や1991年のソ連崩壊などが起きたなか、学生だった私は、既存の枠組みを疑うポストモダンには違和感を感じていたので、芸術家志向の同級生を尻目に、卒業後はさっさと就職し、以降28年間、企業の中で働いてきた。そういえば昨年、12年働いたにもかかわらず給料が上がらないのを嘆く方を「お前の方が終わってる」と言われていたが、28年もの筋金入りの社畜に仕上がってしまった私はどうすればよいのか…、と思わないこともないが、これから不況に突入し、会社からつまみ出される可能性もあるわけだ。半年前のあの議論は今となっては懐かしく、概ねさっさと転職すればいいという結論に、あの「逃げろや、逃げろ」を思い出してしまった。逃げ場が限られてきている現在、自分の身近な職場や地域の「場」をいかに大切にするか、協力し合えるか、それでも難しいなら退散するか、そのとき逃げることがその場にとって「善」きことかどうか、利害を超えた決断が以前よりも求められるようになるだろう。当ブログを更新しない1ヶ月の間にすっかり状況が変わってしまった。
新実存主義はどうなの? 私はまだほとんど読み込めてない。この辺の考え方を血肉にするにはもう少し時間がかかりそう。
「芸術崇拝の思想」「ミュージアムの思想」等の松宮秀治氏の著作に関しては別の機会の書こう。積読解消するどころか、新たな読むべき本がさらに積み上がってしまった。読破するにはまだまだ部屋に籠もらないといけないようだ。
理性を失わず、野蛮にならず、身体を常に清潔に保ち、健康に気を使って、なんとか生き延びる。今私にできることはこれくらいのことだ。
(敬称略)
Leica A型。このカメラが生み出されたのち、ドイツ、並びに欧州は混乱した時代に入る。
人工物と植物、旧エルマーの写り。Leica A (No.10288)/ KODAK ProImage 100
Leica A (No.10288)/ KODAK ProImage 100