1989年

 今から35年前、1989年頃、私は東京の美術大学に通い始めて1年目であった。上京して当初借りた部屋は大学の学生課で紹介された、風呂なしトイレ共同四畳半の安アパートで家賃が1万8千円であった。

当時よくある学生アパートで、すぐ上の階には度々喧嘩をしているカップルが住んでいて、同じ階の二つ先の奥の部屋には日中バイオリンの練習する学生が住んでいた。隣の敷地には面倒見の良い老夫婦の大家さんの家があり、宅配の荷物など預かってもらったりしたものだ。そこは八王子の甲州街道沿いにあり、昭和天皇が崩御された時、大喪の礼の後、武藏野陵(当時は多摩御陵と呼ばれていた)へ向かう皇族等の車列を見ようと、周辺のほぼ全ての住民は道路へ出て(当然私も)黒く荘厳な車が通り過ぎるのを見送った。その非日常的な光景は、この世に生をうけて二十年ほどしか経っていない若造の私に、時代が変わってしまったことを強烈に印象付けた。

 ほどなくして、せっかく東京に住むことになったのだから、ある程度都心に近く、もう少し広い部屋に住みたくなり、渋谷に程近い井の頭線沿線の場所に引っ越した。しかし相変わらず貧乏学生の身であったので、風呂なしの安アパートだ。当時の神泉や駒場周辺にはまだそうした学生アパートや銭湯がいくつか存在していたと思う。それでもいわゆる「地上げ」が盛んに行われていた時期であり、私がそこに住んでいた数年間で次々と銭湯が消えていった。今でも強烈に記憶しているのは、引っ越して初めて行く銭湯へ続く通路の壁面に、後に凶悪犯罪を起こすことになる新興宗教の教祖のポスターが大量に貼られていたことだ。その異様な光景に、とんでもない場所に引っ越してしまったと思った。

 安アパートとはいえ、月4万円弱の家賃は貧乏学生には厳しく、ある百貨店の画材売り場でアルバイトを始めた。大手の百貨店だったので関東の有名私大の学生達も働いていたのだが、時のバブルの高揚感もあったのだろう、彼らの高級レストランでの昼食や連日の合コン、海外旅行自慢、などなど、普段東博や図書館ばかり通っている地味な学生であった自分とは、肌に合わないを通り越して、もはや異次元世界の人達であった。

 銀座の画廊でもアルバイトをした。主に雑用であったが、顧客の元へ美術品を届けることもあった。高額商品なので、ある程度資産を持っているのだろうが、様々な人がいた。マンションの玄関を開けて入ると、薄暗い奥の部屋から「その辺に置いておいて」と投げやりな人もいれば、待ってましたと言わんばかりに、なぜか私に対して敬礼をして受け取る人もいた。中でも印象的だったのは、当初品物を届けるだけだったのだが、大きな塀に囲まれた広大な敷地の中の一角にあるコテージのような建物に通されて、そこで出会った初老の女性だ。非常に美味しい茶菓子を頂きながら美術・芸術について話し合ったのだが、その幅広く深い教養に驚いた。その体験以来、私の中の上流資産家のイメージは彼女で固まっている。それから極めつきは、30年以上経った今だから話すことができるのだが、単なる現金を運んだことがあった。おそらく数百万はあったと思うが、なぜアルバイトの若者ひとりに運ばせるのか理由は教えてくれなかった。

 時は経ち、私が上京して初めて借りたあの安アパートの場所を30数年ぶりに訪れてみた。あの賑やかな人達がいた建物は跡形もなく、簡素な駐車場に変わっていた。そして隣の敷地にあった大家さんの一軒家はまだあったのだが、おそらくもう住人は居ないのであろう、壁には蔦がはっており、綺麗に維持してあった庭は雑草が生い茂って荒れ果てていた。その光景は、寂しいとか哀しいとかの感情よりもまず、あの時代から相当な時が経ってしまったのだという強烈な現実を私に突き付けた。

 

 先日、日経平均株価が34年ぶりに更新したという。多くの識者が解説しているように、あくまでこれから成長するであろう半導体株や一部好業績銘柄の株価が押し上げているのであって、実態は当時とはかけ離れている。少し口の悪い言い方だが、米国の全ての土地が購入できるようになるとか、名画を棺桶に入れる資産家が現れるようになってようやくバブル時代を超えたことになるのだろうか。田舎から上京した右も左も分からない未熟者の若造の目にもあの時代の姿は異様に映った。あれから三十数年を経て日本は物事の価値観や構造が不可逆的に大きく変わってしまった。現在も相変わらず「失われた30年」や「バブル後云々」と何かにつけ言われているが、あの時代を基準にするのはいい加減終わりにした方がいい。