8月6日・9日
私がまだ幼かった頃、広島市内にある幼稚園にマイクロバスで通っていたのだが、その途中に少しだけ原爆ドームが見えるところがあった。当時子供の私はそれを見るのが怖くて、その場所にさしかかったときに必死に目を瞑っていたことを記憶している。
物心ついた頃から漫画や映画など嫌と言うほどヒロシマの話題に触れていると、おのずとそこからは距離を置くようになってしまって、特別に関心を持たないで過ごしていた。大学時代、原爆や原発事故を題材にして作品を作ったこともあったし、反近代的なメッセージを盛り込む方が良いと成田克彦から言われたこともあったが、どうも単純な反戦や反核には違和感があり、その方向に傾倒することはなかった。それは結局、いくら戦争を経験していない者が戦争や原爆の被害についての作品を作ったところで、全く説得力を持つことができないのがわかっていたからである。
それでも広島へ帰省する度に平和記念資料館を訪れていたのだが、ある時、被爆者の遺品が展示されている中に、小さな赤い和服の人形があった。服の端が少し焦げているその人形は、終戦時、被爆地を調査した米兵が持ち帰ったものだという。これで遊んでいた女の子はもういないのだなと、じっと見ていた瞬間、私は急に(原爆の)現実感に襲われてしまった。と同時に広島の地に生まれながら、周りにいる観光客と同じ認識であったのかと思うと、私は愕然とした。情けない話だが、本当の意味で8月6日に起きた出来事の重大さに気づいたのは、私が40歳を越えようとした頃である。
現在の世界の状況を見るに、平和を主張していれば良かった時代はとうに過ぎており、大切な人を守らないといけない場合は、戦うことを選択することも必要になるだろう。核兵器は無くすべきだろうが、この酷い出来事以降、強い国の武力の指標となってしまっている以上、虚しい願望だろうか。
とは言え、目を瞑ってばかりではいられないので、ヒロシマに関するものを残そうと挑戦しているが、いまだ満足できる結果は得られていない。それだけこのテーマは深く、難しく、重い。