写真と美術(2)
昭和を代表する知識人かつ教養人であった小林秀雄が、アサヒカメラ1958年8月号[1] の誌上にて、彼が旅先でのカメラ撮影の出来事を語りながら写真美学について論じている。この短いエッセイを取り上げながら、写真と美術について、いくつかの考えを少し語ってみたい。
小林秀雄の写真観
半世紀以上に発売されたアサヒカメラ誌は少々入手は難しいが、このエッセイが収録された文庫本[2] が出ているので、目にするのは容易である。大まかな内容を書いておく。
その話は小林秀雄が知人から外国旅行の餞別としてカメラを入手することから始まる。「教えられた通り、カメラのメカニズムに忠実に従ってパチパチ」とギリシアのアテネの街角を撮影した数枚のうちの一枚が、写真専門家から芸術的だとほめられたが、それは誤ってカメラが下を向いてしまい、道だけを写したものだった。「こんな大胆な構図は、かえって素人が思いつくものだ」と言われ、小林はこうなるとそんなに当たり前の話ではなくなってくると思う。
そして今度はエジプトで露出計を紛失してしまうエピソードとなる。どこで失くしたのか見当もつかなかったが、後日、自分が撮影した写真の中にその露出計が写っており、全く見当がつかなかった紛失場所が特定できた。そのことによって「事実を確かめ得た歴史家としての喜び」を感じたと言う。
続いてイギリス絶対王政時代の軍人で歴史家でもあるウォルター・ローリー[3] の話に移る。ローリーが実際に目撃した殺人事件が、証言する人々によって全く違うことに気づいたのち、自身が執筆中であった世界史の原稿を燃やし、筆を止めてしまったという。「複雑で重大な歴史事件は、人により様々な異なった解釈を生む。そんなことは、恐らくローリーはよく承知していたが、極く単純な町の出来事に関する、何の解釈を加えぬ、ただ見たがままの報告が、まるで異なっているという事実がローリーを驚かせた。」と語る。そして小林の思考は芸術作品のリアリズムについて展開していく。
カメラのリアリズムと絵画や文学のリアリズムとを比較し、「前者は、純然たる実験科学の成果であるが、後者は一種の人生観を意味する」と述べる。芸術家のリアリズムはロマン主義の反動としてのリアリスティックな考え方として時によって変化していくが、カメラは「人間が勝手に取捨出来るというものではない。このリアリズムは科学が始って以来、一貫して揺がず、その一筋の進歩は恐らく限界のないものである。」と言う。やがてカメラが「対象の正確な映像を自在に得ることができる段階まで来ると、当然記録を越えて審美的要求にも応じたいということになる。写真師は芸術家になりたくなる。」そしてドストエフスキーの「罪と罰」の小説と、その映画の相違を指摘した上で、「写真術の発達が、肖像画家の商売をほとんど絶滅させたというようなはっきりした影響は、文学の世界には見られないが、それでもカメラの視覚像による表現の万能は、文学者、特に小説家には大敵となった。」「優れた小説は、かえって言語による表現の純化の道を行くようになったわけだが、大多数の小説家は、映画と小説とに共通した物語性という世界に安住し、映画の表現力に媚び、これに屈従し、後で映画化されるのを目当てに書いている。」 そして以下のように結ぶ。
なるほど、写真芸術の表現過程は、カメラの全く非人間的なメカニズムに基づく。しかし、この言葉は曖昧である。表現力を持っているのは、カメラを扱う人間であって、カメラではない。カメラは、人間的にも非人間的にもおよそ表現力なぞ持ってはいない。例えば、ピアノの表現力などと人は言うが、表現力という言葉の乱用に過ぎない。ピアノというメカニズムは、演奏者の表現力と聴衆との間に介在した通路に過ぎないと言ったほうがいい。通路が、科学的に整備されるのに、何の不都合があろうか。
以上が「まだ若い写真美学」(講談社文芸文庫版では「写真」)と題された小林秀雄のエッセイの要約となる。ここでのポイントは、観者によって相違する写真の解釈、言葉・文字と、イメージのリアリズムの違いにある。
芸術的体験
言うまでもないことであるが、写真は(作家自ら筆を入れる作品も多々存在するし、デジタルの時代では尚更大胆に修正する作家もおられるが)基本的には作者が自らの手で描画するものではない。冒頭のエピソードの中で、小林秀雄が撮影した「美的映像を得ようとは一度も考えていなかった」が、たまたま大胆な構図で写ってしまった記録写真は、(お世辞もあるのかもしれないが)専門家に芸術的な印象を与えた。これは、撮影者がいくら記録的に写真を残したとしても、観者によって芸術的解釈をされてしまうことを意味する。写真を観る者は、おのずと撮影者と写っている対象物との関係を思い描きながら鑑賞するものだ。このエッセイの中で小林の写真を評した者は、彼がギリシアの街角を撮り歩いている光景を像として頭に投影しているとき、突然、道路だけの写真が現れ、教養人である小林が何か意図をもってそのような写真を撮ったのではないかと思ったに違いない。実際にはたまたま手が滑って写ってしまったものだが、偶然にせよ、意図をもって撮ったにせよ、芸術的体験というのは、鑑賞者と作品との激しい対話が生ずることなのだと理解できる。
写真は何を指し示すのか
また、彼が旅先で紛失した露出計が、友人を撮った写真の中に写っていたが、当然それは露出計を意識して撮ったものではなく、偶然に映っていたにすぎない。つまり撮影者の意図とは関係なく、その時のその場の事実を保存する性質が写真にあるといえる。しかし、写り込んでいた露出計は、小林が所持していた露出計であるとは思うが、たまたま、同じものを所持していた別の誰かが置いていた露出計の可能性も無くはない。つまり写真は事実を写し撮っているが、詳細な部分に注目すると個別の事態は真偽が分かれることとなる。
ウォルター・ローリー
エッセイの半ばで唐突にウォルター・ローリーの話になるのだが、この出来事は事件を実際に目の前で目撃したにもかかわらず、真実を知ることができなかった。そのことに対して、彼自身自己批判を引き起こしたのか、事実を把握する困難さや真実性の疑念によって、自分が書いていた歴史書を焼き捨てたとされる。真実が明らかでないものを書き残すことに対する恐れ。このエピソードは、近頃の米国大統領選挙で起きた出来事の後の「ある事態の成立・不成立から、他の事態の成立・不成立を推論すること」[4] をしてしまった多くの人々の行動にも重ねて見ることができる。現代ではどんな立場の者でも様々なメディアで発言できるようになったが、そのほとんどは写真や映像で間接的に知り得た情報だ。たとえ科学技術が発達した未来に、人間の視覚や思考を映像・音声として保存でき、それがリアルタイムで公開され、誰でも見ることができるようになったとしても、寸分の狂いもなく全て正確に事実を解明することは不可能だろう。しかもその世界は明らかにディストピアだ。かつて情報は文章だけであったが、写真が加わり、時代を経て音と映像が流れ、現代ではSNS等により多くの人の感情や思考まである程度リアルタイムで知ることができるまでになっている。以前よりも極めて情報が正確になってきているのだが、同時に画像・映像を悪用する者や、大衆の「悪意」も大量に可視化されることとなった。今まで見えていなかったものに次々と光があたっていったとき、表現者はいったい何を提示すればよいのだろうか。ジョージ・オーウェルが語るように[5] 、争いの歴史は勝者によって書き残されてしまうものだが、たとえ争いの勝者が偽りの歴史を書き残したとしても、長い年月をかけ様々な視点から意見をすり合わせた結果、真実に近づくのだろう。
リアリズム
小林秀雄はエッセイの中で絵画や文学のリアリズムを「一種の人生観」と少し分かりにくい表現をしている。絵画に目を向けると、ギュスターヴ・クールベ以降、現代を通して西洋の芸術家が目指し残したものは、事実・真実をいかに表現しうるか、その事実は単に見たままのものでなく、人の思考までも含むとき、それは表現可能なものなのか。その探究の積み重ねの結果が芸術作品として残されているのではないかと私は思っている。そしてこのことは芸術の枠から外に視点を拡げれば今現在の様々な分野で必要とされていることでもある。政治や思想や宗教の、そして現代では圧倒的な富を持つものからの、長く続く巨大で強い力の影響から逃れ、それらからいかに自律できるのか、苦難の痕跡とも言えよう。
現代美術に最も影響を与えた芸術家としてマルセル・デュシャンがいる。「泉」と題した便器を展覧会に提示して問題となったことは美術の教科書にも載っており今や多くの人の知ることであろう。既製品(レディ・メイド)を提示するその手法に対し、はたして芸術と言えるのかと疑念を抱く人は多い。しかし、我々はカメラを使って既製品を撮影し、SNS等のサービスで提示し、閲覧者のなんらかの思考を発動させようとしている。そう、およそ100年前にデュシャンが行った行為と同じことをしているのだ。そして本来隠すべきものに絶え間なく光があたっている彼の最後の作品[6] に対し、なぜあのような作品を残したのかと訝る者も多いだろうし、網膜的に鑑賞すると手に負えない代物であるが、自分自身を含む形で、己の頭に描いたその概念の像(それは自分自身の網膜には決して投影できない像でもある)を鑑賞したとき、彼があの時代すでに現代の状況を克明に表現していることに、私は戦慄を覚えるのだ。
小林秀雄のエッセイを起点として、様々な考えを巡らせてきたのだが、ウィトゲンシュタインの言葉を借りて言えば、結局、カメラは写真を通して語りえぬものを語らず、事実を指し示す道具であるという結論に至ったのである。
出典・参考文献
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