Yashica Pentamatic


YashicaPENTAMATIC + SUPER YASHINON-R 1:2.8 f=10cm / FUJIFILM C200 (Cropping)

Yashica Pentamatic

 ヤシカは大衆機のイメージが強いが、1960年に一眼レフ参入当初、オリジナルパヨネットマウントの中高級カメラを出していた。しかしレンズ調達やコストの問題に直面し、早々に大衆機路線のヤシカペンタJに切り替わる。その間約一年半の短命な発売期間であった。

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ZUNOW 5cm F1.9


Mranda A + ZUNOW 1:1.9 f=5cm / KODAK Ektar 100

写真家は変わっていくのか

 「焦り、不安、恐怖、狂気」などネガティブなイメージを表現したい時、どのようなレンズを使えばよいのだろうか。もし私がカメラ・レンズメーカーの開発社員として、不安や恐怖を催す描写をするレンズを作りたいと提案しても、即座に却下されてしまうことは部外者の私でもわかる。仮に小さな新興レンズメーカーが開発し、発売たところで、そのレンズはキワモノや異端扱いされるであろう。そこは写真家や表現者の創意工夫でなんとかしてくださいというのが暗黙の決まりではあるし、メーカーも一定の線引きを設けているのは感じられる。綺麗でなだらかなボケの明るいレンズが各社から発売され、最高画質をうたうカメラが生み出されている昨今、世の中が常にきれいなもので満ち溢れて、美しい写真を残し、多くの人が幸せになるのならば結構なことではある。しかしながら人間の感情というのは複雑なもので、不安や狂気を表すことによって鑑賞者により深い思考をさせる表現をしなければならない時も必要であろう。もちろんカメラやレンズの機能に頼ることなどナンセンスだ、内容一本で勝負すべきという意見も多くあるだろう。ただ、多くの写真家が自らのスタイルを確立し、成功しているわけではない。また、確立したとされる写真家も時代の「芯」を捉えているかどうか。今後デジタル技術が高まり、レンズではなくカメラ、あるいはスマートフォンのボディ内で、(決してお遊び的な効果ではなく)人間のあらゆる感情、感覚を撮影結果に盛り込む機能、つまりクリエイティブの分野まで技術は進出するのであれば、特別な教育機関で芸術性の能力の訓練を受けなくても、多くの人の琴線に触れる作品を残すことができるカメラが生まれるのだろう。当然陳腐化も早くなる。しかし陳腐化への対応は同時に技術革新の速さにつながる。いささか飛躍した考えではあるが、程度の差はあるとは言え、今後カメラがこのような発展の仕方をするのであれば、現在の「写真家」は、かつて写真機が登場した頃の「画家」と同じ立場に立たされるのかもしれない。

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